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パリの居心地。

November 13th, 2011

 Img 3645アントワープに比べるとパリは大都会。人は忙しく、いたるところ喧噪だらけ。そんなことは分かっていてもやっぱり訪れてしまう。約束した椅子や棚を引き取るという大切な仕事もある。それに今回は知人が紹介してくれたゲストハウスで7日間過ごせるのだ。博物館やシネマテークへも行きたいし、たまにはメトロの暗闇ではなくバスに乗って晩秋のパリを味わってみたい。とはいえ、まずはYODEL5号『フランスやつれ』でインタヴューさせていただいた佐藤絵子さんの新しいギャラリーへ。ゲストハウスから歩いて5分、北マレの路地に面したところに<sometime Studio>が見つかった。
 Img 0013 その小さなスペースには絵子さんの世界がギュッと詰まっていた。ちょうどイラスト展が行われていたのだが、もうしわけない、もはや僕の目は椅子や陶器、本などに釘付け。はやる心を抑えつつ近況をうかがってみた。まずは3月の震災へのチャリティーとして、彼女が100人のアーテイストへ依頼したイヴェント”100 masques pour le Japon “。主にフランスで活躍するアーティスト100人にマスクを送って作品化してもらい、装飾美術館で展示し、最終的にはオークションを行い売り上げを寄付するというプロジェクトを9月にやったばかりとのこと。面識がなかった山本耀司さんも即座に賛同してくれたらしく、オークションの最高落札価格も彼の作品だったとのこと。といっても、どれも通常よりずっと低い200ユーロという最低落札価格からスタートし、1200ユーロで落札なのでかなり破格。利益優先ではないオークションなのである。もうひとつの絵子さんの話題は、12月15日に日本のピエ・ブックスから発売になる『パリの一番』という本。過去にパリのガイド本を出さないかというオファーはあったものの固辞してきた彼女が今回引き受けたのにはわけがある。「パリで一番細い路地」や「一番美しいパリが見える場所」など、あくまで彼女の視点がとらえたパリをソッと耳打ちするものになるはず。出版記念で来日の予定もあるらしく、福岡にもぜひ、と願う次第。
 Img 2655 肝心の買付では、パリ市内サン・ドニで行われた蚤の市がなかなか良かった。有名なヴァンブやクリニャンクールは最近さっぱりイイものが少なくなっていた矢先なので、久しぶりに時間を忘れて物探しをすることができた。観光客が少なく地元の人が多いということもあり、ここでは結構気前よく値引きをしてくれるおじさんもいて、蚤の市本来の醍醐味が味わえるということなのだろう。ただし英語ダメなひとがほとんどなので「ノー、フランセーズ」を連発しながら数字をやり取りするしかない。もっともっと買いたかったのだが、いかんせん荷物の重量リミットはとっくに超しているので重いものは涙をのんで我慢することに。

 Img 3342仕事の合間をぬって訪れたのは<Musée des Arts et Métiers(工芸・技術博物館)>。技術革新に対する人間の熱意と工夫が生み出した様々な道具が展示された館内には不思議な物体がそこかしこに。なかには蚤の市で見かけるようなモノがあったり、このカタチは誰それのオブジェにソックリだなー、と驚いたり、科学的好奇心がないボクは勝手に楽しんでしまった。カルチェラタンにある映画館では70年代J.P.ベルモンド主演の映画を観ようと思ったのだが、日にちが合わず断念。食事はほぼ毎日エスニック料理にトライ。パリには世界各国の食べ物屋があるのも嬉しい。レバノン・サンドイッチ、中国の火鍋、そしておなじみベトナムのフォー。日本食なしでも充分生きて行ける街なのである。

アントワープの居心地。

November 9th, 2011

 
Img 2443 アムステルダムのセントラルにある入り組んだ運河の向こうに虹を見た。今回の買付は悪くなさそうだ。案の定、列車で着いたアントワープは適度な大きさの街で、なによりも人の表情が柔らかい。予約していたホテルにチェックイン。値段の割にはシックな部屋だがトイレは共用である。さっそく歩いて5分とかからない広場でやっているオークションへ。といっても、近所のおじさんおばさんが参加して、不要になった日用品などを競りにかけるもの。なのでさっと見学して、僕らはアンティック・ショップが並ぶストリートへと急ぐ。やはりブロカントが多いが、アールデコからキッチュまで、さまざまな店が固まっているのでありがたい。ヨーロッパは空気が乾燥していて古いモノがイイ感じに残ることができるが、日本みたいに湿気が多いとボロボロになってなかなかいい状態では残らないのだろうか。なかには古いモノとそれ風に作った今モノが混在している店があるのもご時世なのか。
 そんな古色を帯びたモノ達がまるでレイヤードのように雑多に重なっているのだが、なかでも興味を惹かれたのは<The Old And The Beautiful」>という店。ここは主にスウェーデンの17世紀くらいの家具を扱っているちょっと異色な存在。長い間に幾層にも塗り重ねられた色を、店主が少しづつ剥離してほぼ生地の状態に戻した椅子やキャビネットが、イームズのアルミナム・チェアなどと不思議なマッチングをしている。ただし値段は相応に高い。僕は1940年代にファイルされた植物標本を20枚ほど買い求めた。図鑑などは時々見かけるのだが、本当の植物が丁寧なデータを添えて保存されているのは初めてだった。もちろん、色々な形の花や草を各々見事に配置した植物学者であろうその人の美意識が並々ならぬものだったからなのだ。
 Img 2340 一通り見終わってランチのために同じストリートにある<ra>というカフェへ。若い男子スタッフ達はいづれもアントワープらしく個性的なお洒落さん。立ち振る舞いからゲイと見た。フレッシュな季節のキノコとプリプリした食感の大麦サラダ、カボチャのパスタに白のビオワインが疲れた体に優しい。店の奥にはギャラリーがあり、ちょうどその時にはアントワープの若手のデザイナー達による服や雑貨のセールが行われていた。結局滞在中に昼夜合わせて4回訪れてしまうほど居心地の良い場所でした。
 翌日はホテルの前の広場で蚤の市。さっそく朝7時過ぎから出動して仕事開始。ガラスドームに入った骨の標本や、「コレ何に使うんだろう?」的道具やオブジェなどを買う。アフリカのマスクを売っているおじさんからはコンゴの敷き布を発見。以前から欲しかったものなので嬉しかったが値引きはなし。「パリではこの2倍はするよ」の言葉を信じてのことだ(確かに、その後クリニャンクールで見かけたがその通りだった)。どうしてこんなところにアフリカものが、と不思議に思う。ベルギーが昔コンゴを植民地にしていたことと関係があるのだろうか。
 Img 2387 そんなわけで、まずまずの成果をあげた僕らは、中世に貿易港として栄えたスヘレデ河岸にたたずみ、多分当時と変わらない茜色の夕日にため息を漏らしながら一服したのでありました。

バリ島をあさる。

July 18th, 2011

 アピチャッポン監督の映画『ブンミおじさん』を観たおかげでジャングルへ行きたくなったのだけれど、舞台となったタイの東北部はまったく不案内なので、多少の土地勘があるバリ島のウブドゥに決めた。一応、短いヴァカンスのつもりだが、鳥取の余韻もあって、インドネシアの民芸などをあらためて見てみたいとも思ったのだ。

 初のシンガポール航空は、噂通りスチュワーデス(って言わないのか今は)のピタッと決まったバティック姿に見とれていたら、あっという間にチャンギ空港着。乗り換えてデンパサールに着いたのは夜の8時くらいだったか。一泊目はスミニャックにあるマデズ・ワルン経営のロスメンを選んだのだが、思った通り、町中にしては静かで部屋も清潔、小さなプールもあって一部屋60ドルとは嬉しい。明日のことを考えて早めに寝床に着いたのだが、ひさびさのバリに興奮したのかなかなか寝付けなかった。
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 翌朝は近くのワルンで朝食後近所をジャラン・ジャラン、早速ロスメンの真ん前にあるファブリック屋でサロン用の古いバティック数枚をゲット。その隣のカゴ屋でもバリの農夫がよく使っているようなフツーの籐のカゴを発見。さい先よろしい。午後イチでチャーターした白タクでウブドゥへ向かう。途中腹が減ったので運転手に旨いワルンを教えてもらい昼食。30分超過したからと、事前に交渉した分にプラスした金額を要求された。
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 ウブドゥで3泊したホテルは、中心部からシャトル・サービスで20分、アユン河の渓谷沿で、申し分ないホスピタリティだった。午前中はもっぱらプールサイドでゴロゴロ、午後は田んぼの畦道をあっちこっち歩いたり、町へ出てあさったり、という毎日。この「あさる」という言葉、実は先日の鳥取ツアーで知った吉田璋也という民芸のプロデューサーの本で出会ったのだ。 河井寛次郎などと一緒に「街に美をあさる会」というのを京都でやっていたらしく、目下気になっている人物。
 「民芸」といえば「無事の美」、つまり「何事も付け加えない職人の仕事」なのだけれど、これがイザ見つけようとすると結構むずかしい。あまたある店先に並ぶ品々は、ほとんどが様々に余計な意匠をほどこしたものばかり。昼間の暑い時間、呼び込みの声を聞き流しつつ「あさる」のはなかなか骨も折れるが楽しくもある。それにしても、民芸をプロデュースするってのは、簡単なことではない。木材が豊富な島だけに、ナイフやスプーンなどカトラリーにはシンプルなものも見つかったが、やはり古いバティックやイカットなどのファブリック類が面白かった。どちらも各地方や種族の伝統的な模様が配されていて、夢中になって探し回った。バティックは、彼らがカリマンタンと呼ぶボルネオのものが素晴らしく、まるでそのままイームズハウスにあってもサマになる。イカットはやはりジャワ島のものが絵柄が独特で、使い込まれた綿の風合いがDOSAの服のような優しさをたたえている。気がつけば、そろそろ夕闇。ケチャを楽しんだ後はカフェ・ワヤンで蜂蜜入りの地酒「アラック・マドゥー」をやりながら、ハーブたっぷりの魚をバナナの葉で包み蒸し焼きにした「イカン・ペペス」で一日が終わった。
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 とまあ、そんな風な感じで半分ヴァカンスな旅があっという間に終わってしまったのだ。そういえば、バリでは目下オーガニックがブーム。ハーブオイルなどのコスメ系はモチロン、レストランやカフェも。ライステラスに囲まれたサリ・オーガニックの自家菜園サラダとライスワインはオススメ。そうそう、肝心のジャングルはといえば、ホテルの部屋から見える景色がそのままジャングルだった。一日中鳥や虫達の鳴き声がこだましていたし、サルやイタチみたいな小動物が木々をすばやく移動する姿も当たり前に目撃できた。あたり一面に魑魅魍魎の気配。月と満天の星々。 そう、そこらじゅう神様だらけだった。

鳥取探訪

July 3rd, 2011

 今回の鳥取探訪は、ある日organを訪れてくださった大江さんという鳥取県の観光局の方との出会いから始まりました。デンマークで買い付けてきたばかりのHjorth窯の器を気に入っていただき、それがきっかけで話をするうちに、民藝をはじめとした様々な工芸に対する彼の思いの強さを感じたのです。そして、ぜひ鳥取へいらして下さいというお誘いを頂き、これは行くしかない、ということでENOUGHの仲間と一緒にはせ参じたという次第なのです。
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 2泊3日の旅は、大江さんの綿密なスケジュールのおかげで、とても充実したものとなりました。訪れた窯元は6軒。そのうちの「山根窯」、「岩井窯」、「中井窯」は、3年ほど前に一度伺ったことがあるのですが、ひとくちに鳥取の民藝窯といってもいろいろです。今回あらためて各々の窯が持つ個性をなんとなくですが確認することが出来ました。初めてだった「法勝寺松花窯」では若く可憐な2代目の作品に触れ、「牧谷窯」ではサーフィンと作陶を愛する若者に出会いました。田んぼの中にたたずむ「延興寺窯」では、まるで 夏休みにおじゃまする親戚の叔父さんの家のようにくつろぎました。もちろん、目を皿のようにして品定め、しっかり買付をしてきました。
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 そのほかにも、弓ヶ浜に古くから伝わる手紬、藍染め、手織りによる絣を伝承している「工房ゆみはま」、和傘の技術を継承している「淀江傘伝承の会」、手漉き和紙で知られる「大因州製紙」などへおじゃまして、伝統の技におもわずため息。大山の裾野にある「植田正治写真美術館」では、アマチュアリズムを貫いたモダンな写真家の存在に驚いたりしながら、山陰路を西に東に駆けめぐりました。折しも季節は梅雨まっただ中。山々の間をぬうように流れる渓流では鮎を釣る人がいたり、水田には田植えを終えた苗が青々として風にたなびいていたものです。そうそう、夜はモチロン、大江さんお薦めの居酒屋で海の幸に舌鼓。めずらしい食材や菓子にも遭遇。8月末に予定している「鳥取の取っておき」展でご披露できるのを楽しみにしています。

パリ、マラケシュ、ジュネーブ

October 31st, 2009

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 今回のツアーはパリ、マラケシュ、ジュネーブの3個所。パリではシャルロット・ペリアンや、マシュー・マテゴ、ピエール・ガーリッシュなどフレンチ・モダンの家具や、60年代のアトリエコートなどフランスらしいエスプリに溢れたアイテムを買い付け、また、マラケシュでは絨毯やアフリカのファブリックなどクラフト感溢れる商品を見つけることができました。そして、スイスでは念願だったコルビュジェの「小さな家」を見学。おまけにモンブランを間近に体感することもできました。
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 パリではちょうど”Les Puces du Design”と呼ばれるイヴェントが開催中でした。フランス中から集まったユーズド・モダン家具屋さんがテント小屋で自慢の逸品を展示販売。顔見知りのディーラーさんもいて、近況を報告。家族連れでにぎわう光景に、ヨーロッパの人々の古い家具やデザインへの日常的な関心の高さを、あらためて認識しました。そうそう、クリニャンクールにあるマルシェ・ポールベールではフレンチ50’デザイナー、アラン・リシャールのエキシビジョンに遭遇。来年には、装飾美術館でフレンチ・モダンの回顧展も開かれる模様。北欧に続いて、知られざるフレンチ・デザインの扉が開かれそうです。

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 コルビュジェが住んでいたアパルトマンを初めて訪れることができました。写真ではおなじみだったけど、実際に見ると、自分らしく住むために様々な工夫をこらして徹底的に「住みこなす」姿勢に感激。巨匠というより、色んなジャンルを横断する多彩なアーティストだったことを知ることができ、なんだか身近に感じてしまいました。そして、スイスにある「小さな家」を見ることで、さらにその感を強くしました。故加藤和彦さんではありませんが「家をつくるなら、草の萌えるにおいのするカアペットをひきたいと思うのであります」、などと思ってしまいました。

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 モロッコは、ポール・ボウルズの「シェルタリング・スカイ」で、その不条理な世界に一方的な興味を抱いていただけなのですが、やはり赤土と真っ青な空のコントラストが強烈な異境でした。スークに迷い、グナワのリズムに陶酔する間もない3日間でしたが、貴重な体験だったと思います。
 そんな欲張りな旅のアレコレはブログ”murmur”にアップしていますので、ご覧になって下さい。また、買い付けてきた商品は店頭に並んでおります。ホームページにも順次掲載いたしますのでお楽しみに。

「地上33階、生活芸術部屋」

July 23rd, 2009

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 オファーをいただいて約1ヵ月あまり、高層マンションのモデルルームが完成しました。モデルルームといっても、改装したい部分や造作する家具もあり、プランニングから施工、ディスプレイまで短期集中のトライアルでした。結果は、ユーズドとENOUGHオリジナルの家具が無理なくマッチした「生活芸術部屋」に変身。演出過多になりがちなモデルルームですが、「自分がこの部屋を使うとしたら?」、という前提を心がけました。
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 104平米4LDKの物件は、ダイニングと6畳日本間の境を取り払う改装後、麻カーペットを敷いてダイニングと一体感を持たせること。集いの場としてのダイニングを中心に、使用する方に余地を残すレイアウトを心がけました。
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アアルトやケアホルム、ヤコブセンなどのヴィンテージ椅子を、普段の生活の中で使いこなしてください。
 もちろん、見学もウエルカム。地上33階には、真夏とは思えない海風が吹き抜けてくれますよ。
<見学お問い合わせ先>
アイランドタワー・スカイクラブ・ギャラリー 0120-17-0683
ルームナンバー#3303

コペンハーゲン、フィレンツェ、パリへ行ってきました。

March 29th, 2009

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 今回のヨーロッパ買付ツアーは、当初14日間の予定が、戻りのチケットが取れず12日間へ短縮、いつもより少しタイトでした。ここ最近、どのエアラインも便数を減らす傾向で、格安チケット席の確保もままならないようです。とはいってもコペンハーゲンまで12時間、SASの旅はなかなか快適でした。着くそうそう、友人宅に預けておいたウェグナーや、ヤコブセンの椅子達を即梱包作業、初日からハードでしたが、程度の良いチークのエイト・チェアや子供用Tチェア、復刻されたクリスチャン・ヴェデルの子供椅子などが手に入り、まずは好スタート。恒例「ロッペン・マーケット(ノミの市)」も相変わらずの盛況ぶり。ルイス・ポールセンのランプや、スチルトン、キャサリンホルムなどをゲット出来ました。今さらながら気がついたのは、バスや地下鉄など公共の乗り物の手すり。どれも黄色で視認性が良く随所にもうけられていて、とても明快。しかも、それが全体にキリッとしたアクセントを与えているところなど、日常生活に役立つデザインの重要さを再確認しました。あっという間に移動日が訪れ、カストラップ空港へ向かうと、出発ロビーにはスワンチェアがたくさん並んでいてとってもカラフル。さすがデザイン立国はプロモーションが上手ですね。
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 今回初めて訪れたのがフィレンツェです。赤い瓦屋根の古い街並みも中世そのまま、世界中からの観光客でにぎわうしっとりとした古都でした。ルネサンスやバロックの名画や彫刻作品をミュージアムで見学したり、細い路地を探索したりと、ひたすら歩き回った4日間。特に興味深かったのは、イタリアで一番古いといわれる印刷術や、革製品などクラフトの世界です。「フィリオ」のクラシカルなグラフィックにふと芹沢銈介を思い浮かべたり、「タディ」の見事な革の小物入れの形にアレキサンダー・ノルの彫刻との類似性を発見したりと、あらためて手仕事の面白さに触れることが出来ました。民芸にしてもそうだけど、世界中に散らばった手仕事の痕跡には、何か共通するモチーフがあるようで不思議な気がします。独自性と普遍性がミックスしているところというか・・・。
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もちろん、食べ歩きも堪能しました。フィレンツェ料理はどちらかといえばしっかり味。素材を生かした素朴な地元ッ子御用達のトラッテリアはお薦めです。そうそう、さすがはイタリア、クルマもキュートです。パトカーはちゃんとアルミホイールを穿いたフィアットで、カラーもビビッド。路地を走り回る三輪オートバイのなんとラブリーなことでしょう。最後の夜、ミケランジェロ広場に登り、暮れなずむ街を眺めて思わずため息を漏らしました。
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 パリではまず、ジャン・ヌーヴェルが設計した「ケ・ブランリ美術館」へ。エッフェル塔を背景にした現代建築です。ただ時間がないため、外観とミュージアム・ショップのみ。それでも、世界中のトライバル・カルチャーを網羅しようとする試みは伝わってきます。「民具が、果たして芸術なのか」、という議論もあるようだけれど、それも結構、大いにやりましょう。先を急ぐ旅人は急ぎディーラーの待つ店へ。小規模ながら、ステフ・シモンのシャーロット・ペリアン展をやっていたのでスツールやランプを買付けました。前から欲しかった肘掛けラウンジ椅子を大いに迷ったのですが、シッピングの手配が付きそうになく、日本に帰ってから連絡を取り合うことに。翌朝はヴァンブのノミの市へ。ここはやっぱり楽しい。その後、クリニャンクールへ。欲しいものはとても高く、ここはもう来なくてもいいと思いました。夜は、友人が北マレに開いたレストラン「うさぎ」へ行き大いに食べ、楽しみました。
戻ったと思ったら、案の定バテ気味。いつもの時差はさほど感じなかったのですが、かわりに「地差」みたいなものがドサッと来たみたいです。同じヨーロッパといっても気候や風土、文化の違いはあるわけで、体がビックリしたのも無理からぬこと。とはいっても、買い付けた商品は、もうほとんど店に並んでます。どうぞ、ご来店下さい。

Hilltribesの町、チェンマイ。

March 6th, 2009

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 タイ北部の町チェンマイは14世紀頃に栄えたランナー王国の古都。そして、西のミャンマー、東のラオスなどヒルトライブ(山岳民族)の文化が色鮮やかに反映した町でもあります。今回は、そんなクロスカルチャーを背景にした多様なクラフト作品をタップリ堪能しました。まずは銀製品、それも前回すっかり魅了されたアカ族やヤフ族のバングルに夢中でした。ガッツリとしたファルムと様々な意匠はどれも魅力的。特にぶっといシルバーを力ずくでネジったかのような形は、古い本などでも目にする伝統的なもの。なんだか、ジョージア・オキーフが付けるとよく似合いそうな、シンプルな力強さに満ちています。また、モン族独特の意匠である「鍵型」のペンダントは、とてもユニークな形をしています。伝統的なセレモニーの際、人の魂が体から抜け出ない為に身につけたものだと言われています。それにしても、ネジネジやグルグル巻きなど、プリミティブなデザインの美しさはいつの時代にも通用するモダンな感覚だと再確認。特に古いものが持つパティーナには、抗しがたい「たたずまい」が感じられました。「布」も多様です。市場で売っているチープで鮮やかなチェックを選ぶ楽しさは、時を忘れてしまいそう(この布、後日訪れたエレファント・キャンプで、マフートと呼ばれるカレン族の象使い達が腰巻きに使っていました、場合によってはタオルにも。まさにそれらは北タイのワーク・ウェアだったのです)。それと対極的に凝った刺繍を施した布は、まさに万華鏡の世界です。糸と針を使い、ひとつひとつ丹念にこしらえられたパシン(筒型サロン)やブランケットにはたくさんの思いと時間が詰まっているかのようです。また、モン族のマーケットに行くと、目が回るほど多彩な文様のスカートやバッグが山積みされています。モウモウと揚がる埃と格闘しながら選ぶ気分はサイケデリック。そのモチーフの無限ともいえる組み合わせには、まったくもって「おそれ入谷の鬼子母神」です。モチロン、dosa大好きなウチの奥さん、テンションは、上がりっぱなしでした。
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 もうひとつ、忘れてならないのが「食」。タイ料理と聞いて一般的に思い浮かべられる激辛酸っぱい「トムヤムクン」的な食べものは、実はタイ南部のもの。チェンマイを含めた北部はカオニャオ(モチ米)が特に美味しく、様々な香草を使った多様な食文化はヘルシーで我々日本人にも食べやすいものが多いのです。特に、スパイス使いが巧みで、「あんまり食欲がないなー」などと思っていても、ナンプリックと呼ばれる辛いペーストを付けると肉もご飯もつい完食してしまいます。一回に食べる量が少ないためか、一日に4回とか5回たべる人も珍しくないらしいのですが、その割には肥満体の人はほとんど見かけません。カオ・ソーイ(カレー麺)、ガイヤーン(鳥の丸焼き)、サイウア(ソーセージ)、ソムタム・タイ(青パパイアサラダ)、ジョーグ(すりつぶしたお粥)などなど、数え上げたらきりがない数々の食堂の味。すぐにでも飛行機に飛び乗りたくなる誘惑に駆られそうで恐いくらいなのです。

サンタフェへ行ってきました

November 5th, 2008

先月末、アメリカはサンタフェへ行ってきました。1980年代末、「サンタフェ・スタイル」という本に出会って以来、いつかは行ってみたい場所だったからです。当時はインテリアが一般的に意識され始めた時期で、ご多分に漏れず僕も「フレンチ・スタイル」、「ロフト・スタイル」、「ハイテク・スタイル」などといった洋書を見てはため息をついていたもの。そんな中でも「サンタフェ・スタイル」は、都会を離れても洗練ということがあり得ることを教えてくれた初めての提案だったように思います。その後、画家ジョージア・オキーフに興味を持ち、彼女がその後半生を過ごしたサンタフェ郊外のアビキューにある家が見学可能だと聞くと、「もう行くしかない」状態になったのです。それにしても、遠かった。昼頃福岡を出て成田へ、そしてL.A.で乗り換え、17時間の時差を越えてアルバカーキに着いたのは同日の夜。レンタカーを借り、その夜はモーテルで1泊。次の日サンタフェへ向かいました。時差ぼけでフラフラしつつも、まずはアレキサンダー・ジラルドの「フォーク・アート・ミュージアム」へ。「カチナ」と呼ばれるネイティブ・アメリカンのものを始め、世界中の人形がコレクションされています。ジラルドといえば、イームズにメキシカン・アートの面白さを伝授した人。ここニューメキシコ州は、その名の通りメキシコ領だったところ。アメリカといっても文化的にはネイティブ・アメリカン、ラテン、そして白人と、3つの文化が複雑に混在した場所なのです。

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 そうそう、ここサンタフェにはジラルドが手がけたレストランもあります。といわけで、そのレストラン「コンパウンド」へ昼食を食べに行きました。店内は白い漆喰壁で、あちらこちらにジラルドの作品が配されていてとてもシック。もちろん、味も文句なしでした。食べ物と言えば、Whole Foodsというオーガニックなスーパーマーケットもサイコーでした。おかげで美味しいデリをテイクアウトして、モーテルで持ち込み夕食が楽しめました。明けて3日目はオキーフ・ミュージアムへ。初期のドローイングや水彩画も素晴らしかったけど、彼女の生き方自体に惹かれる身としては、動くオキーフの姿が初めてビデオで見れたのが嬉しかった。声は低めで早口なその語り口は、ストイックな彼女のイメージ通り。そして翌日は念願の自宅見学。その息をのむほどの静謐な世界にすっかり圧倒されてしまいました。写真撮影は禁止のため、一切は脳裏に焼き付けるしかなかったわけで、それがかえって良かったのかも。アドビの土壁にサーリネンやイームズの椅子が置かれた様は、まるで民芸+モダニズムにも通じる理想の空間でした。

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 サンタフェ周辺には見所がたくさんあり、残り2日間はかけ足でそのいくつかを駆けめぐりました。まずは、ゴーストランチという場所にあるオキーフのアトリエ跡。風化した荒々しい山や崖の風景はまるで西部劇そのまま。馬に乗ったジョン・ウェインが今にも現れそうで、おもわずテンガロン・ハットを買ってしまいました。タオスという町にあるネイティブ・アメリカンの古い住居跡にはつい長居をしました。いくつかのショップを覗いては美しいターコイスや銀のアクセサリーを購入したからです。小さな店の中はシダー(ヒノキ科)の束を燃やした香りがまるで線香のように漂い、なんだかスピリチュアル。親戚の叔父さんみたいな顔をした店主の笑顔が今でも忘れられません。最後は大好きなチマヨ・ベストを求めて山間の小さな村へ。あいにくレンタカーのGPSがうまく作動せず、小道で迷っている時、ポツンとたたずむ農家がありました。ふと見ると、入り口にはバラク・オバマを支持するサインがかかっていました。そう、アメリカは大統領選まっただ中だったのです。変革を求める声はこんなところにも在るのだ、となんだか頼もしくなりました。肝心の織物店「オルテガ」、「センティネラ」はそのすぐ近くでした。大きな織機でガタン、ゴトンと仕事をしていたアーヴィングさんは日本の絣(かすり)が大好きとのこと。一度、ぜひ日本へ行きたいと仰っていました。
 昔、”あきれたぼういず”という漫談トリオが、「地球の上に朝がくりゃ、その裏側は夜だろうー・・・」と唄っていました。アメリカをはるか上空から見ていると、なぜかこの唄を思い出します。まるで人跡未踏のように見える荒涼とした大地は、地球が惑星であることを思い出させてくれるようです。でも、いったん地上に舞い降りると、そこには様々な人々が違った文化を抱えて今日も生きています。これからも、様々な問題を抱えながら歩み続けるこの国への興味は尽きそうにありません。

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 organには、ナバホのターコイスや銀のアクセサリー、チマヨの織物など、トライブ感あふれる商品が入荷しています。ご来店をお待ちしています。

鹿児島へ行ってきました

July 6th, 2008

梅雨の合間をぬって、鹿児島へ行ってきました。プレイマウンテンの中原さんがプロデュースした店”DWELL”を見てみたいと思っていた矢先に、大阪dieciの田丸さんご夫妻から「行きましょう」、とお誘いがあったから実現したようなものです。ENOUGHの野見山さん、田中さんも日帰りながらも強行参加です。日頃、仕事の面でもお世話になっている方々の新しい店を、仲の良い人々と一緒に訪れるのはとても嬉しいことです。良い刺激になるし、勉強にもなります。そして、今回はプレイマウンテンの郷古さんにナヴィをしてもらえるということで、いやが上にも期待が高まります。
鹿児島空港で全員落ち合い、まずは”Factory 1202″へ。ここは、プレイマウンテンの家具などを製作しているところ。オーナーの川畑さんのオープンマインドな気持ちが伝わってくるような、ゆったりとした自宅兼工房です。プルーヴェやペリアンをリスペクトした作品を見て、なんだか嬉しくなりました。そんな中でも、子供とお母さんが対面で座れるというアイデアの新作デスクが素晴らしく、とても気になりました。。バターナイフをつくるワークショップも面白そうです。今度、機会があればぜひorganでもやってみたいものです。それにしても、こんな環境の中で物作りが出来るとは、うらやましい限りです。

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そんな川畑さんが案内してくれたのが障害者支援センター「しょうぶ学園」。僕も、友人の紹介で福岡の施設の人たちの作品に触れたり、少しだけorganで取り扱わせてもらっていることもあり、ぜひ訪れてみたい場所だったのです。でも、ここは期待を遙かに上回るところでした。まず、広い中庭を中心とした敷地内に点在する各施設が、まるでプラーべートなホテルのようです。各工房では、木工、陶芸、染め織り、刺繍、和紙、パン作り、音楽などの創作が行われています。障害者の芸術活動は、近年、日本でも注目されている表現分野です。健常者にありがちなバランスを持つ表現ではなく、あくまで自己流で伝えられる表現は、とても刺激的でサイケデリックでさえあります。コム・デ・ギャルソン顔負けの刺繍や、めくるめく土塊なんて見ていると、思わずドキドキしてしまいます。多分、指導されている方々のディレクションも功を奏しているのだと思います。数点ですが、買い物をしました。その中でも、木の切り株を削り、白く塗ったスツールはゲルチョップなんか目じゃないくらいにイカしてると思います。なんたって、生ですもの。

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お目当ての”DWELL”は、鹿児島港近くで、すぐ前がドーンと桜島という絶好のロケーション。石造りの倉庫を上手に利用した店内に、家具やクラフトがしっくりと馴染んでいます。相方は早速、竹かごを購入してました。さすがに南方の竹は粘りがあってしなやか。僕は、カフェのよく冷えたビールで一休み。ついつい長居したくなるスペースです。ここから発信される様々な事柄が、きっと鹿児島のシーンを変えてゆきそうな気がします。個性的なアクセサリーを作る宮本さんの”samulo”や、美しい木のボウルが素晴らしい盛永さんの”Crate”など、目が離せない作家さんの宝庫なのです。
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翌日は、「沈寿官」という古くからの薩摩焼の窯元を訪ねました。以前、司馬遼太郎の「故郷、忘じがたく候」を読み、いつか訪れてみたかったところです。慶長の役が終わった1598年に日本に連れてこられた陶工の子孫は、現在で15代目。薩摩藩の御用窯として素晴らしい白薩摩、黒薩摩が残されています。幸運なことに、薩摩の伝統的武家屋敷様式であるベンガラ壁の座敷を拝見させて頂き、その後資料館では精緻な工芸作品の数々に圧倒されました。考えてみると、九州にはこうした帰化朝鮮陶工たちの足跡が点在しています。それらは、民芸として生活の為の雑器として、あるいは官窯の高級品として、そして芸術表現として独自の発展を遂げてきました。そんな様々な焼き物を発見することが出来るのはうれしい限り。九州に住んでてラッキーです。

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そういえば 「まぐろラーメン」に出会えたのもラッキーでした。場所はまぐろで有名な串木野。どんな味かは、あえて言いません。豚骨が少々胃にこたえる年になった僕にはまるで救世主。わさびが薬味ってとこもお茶漬けみたいで新鮮。これだったら、スープも残さず完食できそうです。そして、最後を締めたのは「薩摩揚げ」。まるで、キッシュのように甘くてホッコリした味が格別でした。
「次回はぜひ、沖縄へ行きましょう」と、みんなで約束。 その後、田丸夫妻と一緒に車で福岡へ。途中、人吉の名民芸店「魚座」や、熊本の小代焼きなどに立ち寄り、焼き物三昧を楽しみました。

dieci
大阪市北区天神橋1-1-11
天一ビル1・2F
tel&fax 06-6882-7828
http://www.dieci-cafe.com

Factory 1202
鹿児島市本名町1202
tel. 099-294-3627
http://www.factory1202.com

DWELL playmountain
鹿児島市住吉町7-1
tel. 099-801-8114
http://www.dwell-playmountain.com

samulo
鹿児島市西千石町8-21 田口ビル1F
tel. 099-226-8030

Crate
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